このブログについて

このブログは、工藤美代子/加藤康男による「関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する本を検証するために、

「民族差別への抗議行動・知らせ隊+チーム1923」が作成するものです。

初めてご覧になる方は、入門編「はじめに」からお読みください。

2015年2月11日水曜日

証拠史料編 ◉ その15


【「証拠史料」編―工藤夫妻の示す「証拠」史料を検証する】

省略の悪用で噂への言及を
事実の描写のように見せかける

………… 要点 ………………………………………………………………

  • 震災直後の談話記事
  • (略)と、(略)と示さない “こっそり省略” が合わせて5箇所も。
  • それにより“噂への言及”を事実描写のように見せかけ、読者を誤読に導いている。

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工藤夫妻による引用(『なかった』p.337)
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「恰度(ちょうど)昼食をしやうとする処でした。始めは上下動に揺れ次第に水平動になりましたが、とても立つていられぬので庭に出ましたが、他区に比すると極楽だと凡ての言はれた小石川で斯うだつたのです。【A】兎に角(とにかく)罹災民は小石川方面に集まる。大抵の自動車も罹災民を乗せて此辺に集まるのでその雑踏は言葉に尽し切れません。一日夜、植物園にもいつてみましたが、ほんとうに避難民で一杯で、一番困るのは排地物は凡て居たままなのでその臭気の程は形容の言葉がありません。二日の朝から昼にかけて非常に石油の臭ひがしました。此頃、小石川辺では鮮人が団体を組んで来るとか爆弾を投て、焼き払ふ計画を立ててゐるとか、(略)生きてゐる心持がありませんでした。私共も一所になつて捜索の結果、私の家の市も附近の宮様の原で爆弾一個を発見しました。【B】私の乗つた汽車は途中で列車の下より爆弾を抱いた三人の鮮人を見出して殺しましたが、(略)鮮人は何れも多大の金を持つてをり【C】
(北大予科二年生、杉山又雄談、『北海タイムス』大正十二年九月八日) 
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震災直後の、混乱期の談話記事である。そしてこれもまた、例のごとく『現代史資料6』に収録されている記事である。そしてこれにも例のごとく、(略)と示さない“こっそり省略”が3箇所存在する。【A】【B】【C】と示した。これに加えて(略)が2箇所。この短い引用の中に5箇所もの省略があるのだ。

その14」で書いたように、この引用記事は「やはり標的は御成婚式だった」という見出しがつけられた下りにおいて、“ 朝鮮人テロリストが自白した例 ” のひとつとして並べられているものだ。さらに、この中には、『真実』の本文では「社会主義者との結託」という小見出しに続く文章でテーマとなる「(テロリストの)大胆な計画と資金調達」にかかわる記述もある。「鮮人は何れも多大の金を持つてをり」という部分がそれである。

ではこの記事に出てくる「爆弾を投て、焼き払ふ計画」や「鮮人は何れも多大の金を持つて」いるという話も、朝鮮人の「自白」にもとづくのであろうか。そうではない。実はこの記事の原文には“朝鮮人の「自白」”すら登場していないのである。

もとの記事で省略されている部分を復活させるとそれが分かる。『現代史資料6』に収められた元記事の見出しと、工藤氏が省略した部分をすべて復活させた記事を、以下に掲載する。面倒かもしれないが、通読してみていただきたい。(略)と示された省略部分は赤字、(略)と示さずにこっそり略された部分は青字で示した。

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「凄惨なる其日の光景/汽車内で不逞鮮人を/寄つてたかつて殴殺す/北大予科二年生杉山又雄氏談
恰度(ちょうど)昼食をしやうとする処でした。始めは上下動に揺れ次第に水平動になりましたが、とても立つていられぬので庭に出ましたが、他区に比すると極楽だと凡ての言はれた小石川で斯うだつたのです。それからも度々揺り返しのあつたのは無論です。大抵報導されてゐるやうなことは言ふ迄もないが、後で見ると時計は十二時の処で針を止めて居りました。兎に角(とにかく)罹災民は小石川方面に集まる。大抵の自動車も罹災民を乗せて此辺に集まるのでその雑踏は言葉に尽し切れません。一日夜、植物園にもいつてみましたが、ほんとうに避難民で一杯で、一番困るのは排地物は凡て居たままなのでその臭気の程は形容の言葉がありません。二日の朝から昼にかけて非常に石油の臭ひがしました。此頃、小石川辺では鮮人が団体を組んで来るとか爆弾を投て、焼き払ふ計画を立ててゐるとか、又は罹災者などは寄つてたかつて九月一日は露西亜の革命記念日で前から爆弾を投げる計画がたててあつたなどの流言が行はれ、生きてゐる心持がありませんでした。私共も一所になつて捜索の結果、私の家の而かも附近の宮様の原で爆弾一個を発見しました。そして丸山町丈で鮮人を三名捕へました。それから警戒は甚しいもので私の附近などでも町内で切符を持たぬものは何人と雖も交通を禁止しました…三日横浜から逃れた私の叔父は横浜は山の手が一部残つたのだが夫(それ)が爆弾や放火の為丸焼けになつたと泣いて居りました。一番凄かつたのは罹災民が我々の敵不逞鮮人と叫ぶ声が悲愴なことで夫も浅草方面より来る罹災民に多かつたやうです。何処の避難民でも今では知らぬ人の食物、水は決して貰つて飲みません。夫に付ても私が四日田端より乗つた汽車中一人の男が配つてくれる芋を貰へませんでした。其時誰かが朝鮮人は芋を食はぬと云つたら汽車の中の罹災民は其者が次の列車に乗つて逃げくるのを打つやら叩くやらして殺して快を叫んでゐるのです。私の乗つた汽車は途中で列車の下より爆弾を抱いた三人の鮮人を見出して殺しましたが、白河の少し手前でも同様な鮮人を見出し列車の中で殴り殺しました。実に無惨です。四日私の立つ頃は稍(やや)平穏に復しましたが、鮮人は何れも多大の金を持つてをり、三越で殺されたものは千五百円を持つていたと言はれてをりました
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どうだろうか。工藤氏が最も読ませたかった「小石川辺では鮮人が団体を組んで来るとか爆弾を投て、焼き払ふ計画を立ててゐるとか」という下りは、「~などの流言が行われ」と書いてあるとおり、流言があったことを語っているだけであり、誰の自白でもない。また、「多大の金を持つてをり」も、「~と言はれてをりました」と結ばれている。つまり、ともに伝聞(流言)なのである。拷問の末の自白ですらないのだ。工藤氏がこの記事を朝鮮人テロリストが「自白した例」に加えるのはミスリードである。

さらに全文を読むことで見えてくることがいくつかある。ひとつは、全体にわたって集団ヒステリーともいうべき状況が描写されていることである。また、この記事には伝聞と目撃、朝鮮人への恐怖と、反対に同情と、さまざまな矛盾する要素が混在している。

ちなみに、杉山氏は原っぱや列車の中で爆弾が見つかったと語っているが、杉山氏がこの目で見たのか、伝聞なのかも、これだけでは判然としない。はっきり言えるのは、白河に向かう列車の中や、小石川の原っぱで爆弾の実物が見つかったという公的な記録や証言はないということだ。そもそも震災期に爆弾が実際に押収されたという確かな記録はないこと、その一方で、警察に持ち込まれた爆弾らしきものが缶詰だったり、おもちゃだったりした例は無数にあったことは、こちらでまとめて指摘しておいた(→「爆弾編」近日公開)。この記事中の爆弾話も、これだけでは事実性を認めることはできない。震災直後の混乱した現状認識をそのままに反映しているものだと理解すべきだろう。

工藤夫妻はこの引用でも、(略)や、(略)と示さない省略を多用することで、複雑な要素をはらんだ原文を、工藤氏が読ませたいストーリーへとねじまげているのである。