「襲撃」記事の紙面は誤報だらけ
………… 要点 ………………………………………………………………
- 震災直後の記事。
- どうみても目撃証言ではない。
- 「襲撃」を伝える紙面は誤報でいっぱい。
…………………………………………………………………………………
工藤夫妻による引用(『なかった』p.170)
――――――――――――――――――――――――――――
「目黒と工廠の火薬爆発朝鮮人の暴徒が起つて横浜、神奈川を経て八王子に向つて盛んに火を放ちつつあるのを見た」(「大阪朝日新聞」大正十二年九月二日)
――――――――――――――――――――――――――――
工藤夫妻が引用しているのはこの一文だけだが、これが「目撃証言」ではないこと自体は、誰も異存ないだろう。横浜、神奈川、八王子を一望できる「目」は、この時代には存在しない。もちろん工藤夫妻も、あくまで「朝鮮人の集団襲撃を伝える第一報」という意味でこれを引用している。ちなみに工藤夫妻は「9月2日」としているが、縮刷版で確認してみると、これは「9月3日の号外」の間違いである。
ところで、この短い記事でも縮刷版を見ると面白いことがわかる。
件の朝鮮人暴徒記事は、大きな見出しに挟まれて、ごく小さな活字で組まれているが、周囲に誤報がいくつもあるのが見えるのである。
まずは朝鮮人暴徒の左隣。「震源地は伊豆大島三原山の噴火と観測されてゐるが他に太平洋の中央にも震源があるらしい」。太平洋の中央というと、ハワイのあたりだろうか。実際には、震源地は相模湾沖であった。三原山の噴火も太平洋中央震源説も全くの誤報である。そのさらに左には、「砲兵工廠は火薬の爆発のため全焼し目黒火薬庫も爆発した」とある。これも誤報。砲兵工廠は確かに火に包まれたが、目黒火薬製造所は爆発していない。
そのまた左には、「川口町も全滅を見る」という見出しがおかれている。川口町は今の川口市の一部である。確かに埼玉県の中では川口町の家屋倒壊被害は大きかった。それでも死傷者は34人に止まり、火災被害もなく、列車も動いていた。「死傷者算なし」「町内各所に火災」「同町も亦全滅」はあまりにも過剰である。
このように、「朝鮮人暴徒の襲来」を告げる記事そのものが、いくつもの誤報に囲まれているのである。書いてあるから事実だ、と言うのであれば、ほかの誤報もすべて事実だということになってしまう。震災直後の記事をナイーブに事実と信じることがどれだけ誤っているか、これを見るだけでも分かっていただけることと思う。