このブログについて

このブログは、工藤美代子/加藤康男による「関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する本を検証するために、

「民族差別への抗議行動・知らせ隊+チーム1923」が作成するものです。

初めてご覧になる方は、入門編「はじめに」からお読みください。

2015年2月17日火曜日

証拠史料編 ◉ その9

【「証拠史料」編―工藤夫妻の示す「証拠」史料を検証する】

地元警察署が
「朝鮮人の放火」を否定している


………… 要点 ………………………………………………………………

  • 震災直後の混乱期の記事である。
  • 地元の警察署は「朝鮮人を取り調べたが、放火は流言にすぎなかった」と総括している。

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工藤夫妻による引用(『なかった』p.153)
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「火に見舞はれなつたが(ママ)唯一の地として残された牛込の二日夜は不逞鮮人の放火及び井戸に毒薬投下を警カイする為めに青年団、在郷軍人団及び学生の有志レンは警察官軍隊と協力して徹宵し横丁毎に縄を張つて番人を附し通行人を誰何する等緊張し、各自棍棒、短刀、脇差を携帯する等殺気が漲(みなぎ)り、小中学生等も棍棒をたづさへて家の周囲を警戒し、宛然(注・あたかも)在外居留地に於ける義勇兵出動の感を呈した。市ケ谷各町は麹町六丁目から平河町は風下の関係から火の粉が雨の如く降り鮮人に対する警戒と火の恐れで生きた心もなく戦場さながらの光景を呈した。牛込佐土原町では二ケ所に於て鮮人放火の現場を土佐協会の大学生数名が発見、直ちにもみけした。又三日朝二人づれの鮮人が井水に猫入らず(ママ)を投入せんとする現場を警カイ員が発見して直ちに逮捕した」
(『東京日日新聞』大正十二年九月四日)

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朝鮮人の放火の証拠と示された記事の2つ目である。「井水」とは、井戸の水のこと。

朝鮮人関連する記述は、牛込佐土原町で朝鮮人の放火現場を「土佐協会の大学生」が取り押さえたという話と、3日の朝、2人の朝鮮人が井戸に猫いらずを入れようとした現場を「警カイ員」が取り押さえたという話の二つ。

警視庁『大正大震火災誌』に収められた牛込早稲田警察署の報告は、9月2日のこの地域の状況について以下のように書いている。
「管内は、九月二日午前十時前後に於て『不逞鮮人等の放火・毒薬物撒布又は爆弾を所持せり』等の流言あり」「所謂自警団の成立を見るに至り、鮮人の本署に拉致せらるるもの少なからず」
午後には朝鮮人が民家に放火するとの流言が広がり、早稲田方面ではこれを恐れて避難する人も少なくなかった。こうした状況を受けて警察署長は現地に赴き、こう演説している。「本日爆弾を携帯せりとて同行せる鮮人を調査するに爆弾と誤解せるものは缶詰、食料品に過ぎず、其の他の鮮人も亦(また)遂に疑ふべきものなし、放火の事、蓋(けだ)し訛伝(流言)に出づるなり」。

「其の他の鮮人も亦遂に疑ふべきものなし」とあるから、住民が連行してきた朝鮮人を調べても、放火の事実を確かめることはできなかったことになる。つまり、だいぶ後に震災総括として書かれた牛込早稲田警察署の報告は、工藤夫妻が引用する9月4日の記事の内容を完全に否定する内容になっているのだ。

「朝鮮人が放火した」という流言についてはテーマ別検証編の「放火」の項でくわしく解説するが、警視庁管内全域で、9月中の放火は25件。その内訳は個人的怨恨が多数でほかはいたずら。朝鮮人は「軽微なる未遂罪二件を算するのみ」(警視庁『大正大震火災誌』1925年)で残りは日本人である。朝鮮人で放火の罪で起訴された者は一人もいないので、この2件も起訴はされなかったということになる。彼らが実際に放火しようとしていたかどうかもあいまいだ。あるいはそもそも検挙されていない可能性もある。「朝鮮人が火をつけているのを見ました」という訴えを受理したのみ、ということである。

井戸に毒を入れた、あるいは入れようとした、という公式記録も残っていない。井戸に毒を入れるという流言についても「井戸」の項でまとめて説明するが、東京でも横浜でも、井戸を調べて毒が検出されたという公式記録は一つも残っていない。震災直後の流言記事以外には、「この目で見た」という目撃証言も残っていない

横浜では、井戸に毒を入れようとしていると誤解されて殺された朝鮮人の記録が残っている。
「九月三日夜、中村町植木会社構内避難民、附近井戸毎に覗き居たる一鮮人を発見し、毒物を投入せるものと信じたる附近住民は激昂の余り、殴打殺害せる事実あるも、毒物を投入したるや否や判然たらず。其後該井水を使用しつつあるも、何等異状なきに見るも、全く毒物の投入にあらずして、渇を覚え水を飲まんとして、井戸を覗けるものと思惟せらる」
(神奈川警備隊「鮮人の暴行に関する実跡調査報告」『横浜震災誌』) 

牛込の「猫いらず」投入も同様の誤解であった可能性がある。だがそれ以前に、この記事に登場する「土佐協会の学生」とか、「猫いらず」といった具体的な記述さえ、どこまで事実を伝えているのか、不確かであると言わざるを得ない。

第一に、当サイトのトップページで説明したとおり、震災直後の新聞記事は、まともな取材を行なっていない(できない)ものが多いからである。第二に、この時期には、まったく根拠のない流言が妙な具体性を帯びて広がるという現象がしばしば見られるからである。先の神奈川警備隊報告にも、○○町××地区の傘製造業者の家にアメ売りの朝鮮人が放火したという非常に具体的な噂があったので調べてみると全くの事実無根であった、という話が出てくる。震災から10日ほどの時期の新聞記事を、“新聞だから事実が書いてあるに違いない”とナイーブに読んではいけないのである。

ところが、「その8」で指摘したように、工藤夫妻は実際にこうした放火があったかどうかを検証するのではなく、こうした記事を検証もせずに、無前提に、“書いてあるから事実”として読者に提示しているだけなのである。だが、先に示したように、住民が連れてきた朝鮮人を取調べた地元の警察署が、犯罪事実は認められなかったと報告しているのだ。工藤夫妻は、この報告との矛盾を吟味しようとすらしていない。

工藤夫妻は『なかった』の冒頭で、「あらゆる史料の再検証」を行うと宣言しているが、彼らは「あらゆる史料」どころか基本的な史料も検証していないし、やっていることの内容も「検証」の名に値しない。