このブログについて

このブログは、工藤美代子/加藤康男による「関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する本を検証するために、

「民族差別への抗議行動・知らせ隊+チーム1923」が作成するものです。

初めてご覧になる方は、入門編「はじめに」からお読みください。

2015年2月9日月曜日

証拠史料編 ◉ 特別編

【「証拠史料」編―工藤夫妻の示す「証拠」史料を検証する】
省略を悪用して
原文の趣旨をねじまげる


………… 要点 ………………………………………………………………

  • 隠された省略が1箇所あり。
  • 2箇所の省略を復活させ、前後の原文を読むと、工藤夫妻が省略を悪用して原文の趣旨とまったく別の主張を引用史料に言わせていることが分かる。
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工藤夫妻による引用(『なかった』p.147)
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「惟うに、今回の震災ほど官民一致して事に当たったのを、余は曾つて目撃したことはない。【A】これは帰するところ、人力を以て天災に当るという覚情から来たものに外ならないのである。過激思想の徒、極端な共産主義者らが、かかる千載一遇の場合に際して、良民を煽動し、あるいは人心を撹乱して以て自家の非望を成就しようと努めているとか聞いたが、それは最も好機を捕えたもののようであって、しかも最も愚策であると余は笑わざるを得ない。(略)要するに今は人力と天災の対抗である。この意味で余は不逞の徒――ある人はこれを朝鮮人の一団と言い、また過激派の陰謀と言う――を恐れない」
(大曲駒村『東京灰燼記』中公文庫)
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大曲駒村(おおまがり・くそん、1882~1943年)は川柳の研究家や俳人として知られる人物で、震災当時は安田銀行浅草支店長。『東京灰燼記』は、震災の翌月に刊行されたもので、震災直後の世相を日記のように書きつづったものである。工藤夫妻は「彼が残した記録も捨てがたい史料である」という一言だけを添えて、上の一文を引用している。工藤夫妻がこれを引用した意図は、「余は不逞の徒を恐れない」という一文によって、テロリストに勇敢に立ち向かった当時の東京市民の気概を読者に印象づけるところにあるのだと思われる。だが、その読み方は、原文を通読してみれば、誰でもおかしいと気付くものだ。順を追って説明しよう。

この引用にも、例によって(略)と表記した省略と、表記なしの「隠された省略」がある。切り取られている部分を復活させ、前後の文脈を再現すると、「余は不逞の徒を恐れない」という一言が、工藤夫妻が読ませたいような文脈で発せられているわけではないことが分かる。

『東京灰燼記』の原文を、工藤夫妻が引用する手前からたどり直してみよう。中公文庫版でp.69からである。場面は、震災直後の新宿の光景だ。戦後の闇市のように、おでんや甘酒、うどんなどが路傍で売られている。その中に、まるごと20銭で買える西瓜を一切れで20銭という無茶な値段で売っている青年がいた。江戸っ子言葉の男が「この極道めッ」と叫んで、この青年の頬を平手打ちする。たちまち取っ組み合いが始まるが、その隙に西瓜はあっと言う間に群衆に持ち去られてしまう。野次馬はこうした様子を見て、「ざまア見やがれ」と西瓜売りの青年を罵るのであった。こうした情景を描写したあとで、大曲はこう書いている。
「その外バナナ売りは、四、五本付いた一ト房を、どこでもざらに五十銭で売っていた。これは火事の翌日に見たことなのだから、二日以来のことだった。暴利を貪る男ほど、この際憎むべきものはないと思った。/『政府はこの際、暴利を貪るものあるを発見次第、厳重なる暴利取締法を励行、処罰する筈である』/という掲示は、処々に張り出されてあるが、尤(もっと)もなことである。この際一番恐るべきことは、余は不逞の徒よりも、むしろこの暴利者の横行であると思う」
そしてこの後、工藤夫妻の引用部分が始まる。青字(略)によって隠されていた部分、赤字で示したのは(略)なしでこっそり略されている部分【A】を表に出してみたものだ。

「惟うに、今回の震災ほど官民一致して事に当たったのを、余は曾つて目撃したことはない。つまり人心の結合が、今度ほど強因の実を示したことはないのである。これは帰するところ、人力を以て天災に当るという覚情から来たものに外ならないのである。過激思想の徒、極端な共産主義者らが、かかる千載一遇の場合に際して、良民を煽動し、あるいは人心を撹乱して以て自家の非望を成就しようと努めているとか聞いたが、それは最も好機を捕えたもののようであって、しかも最も愚策であると余は笑わざるを得ない。もし彼らにかかる陰謀があった――かどうかは、実は余も知らない――としたならば、流言飛語、人心恐々として定まらないような現状ではあるが、いざとなるとまるで溶炉中の銅塊のように融解し切って、秩序の維持のためには、誰もが無意識に一致行動しているのが事実だからである。要するに今は人力と天災の対抗である。この意味で余は不逗の徒――ある人はこれを朝鮮人の一団と言い、また過激派の陰謀と言う――を恐れない」
この文章は、そのあと、このように続く。
「否それは恐るべきことではあろうが、それよりもなお恐ろしいものが他にあるのである。即ち極端なる個人主義、我利我利亡者、というような貪婪者の出現である。而してこれに対する民衆の反抗、激怒、即ち暴動これである。/余は暴利者を極端に憎む。/富豪はその宝庫を直ちに開け。/美しき庭園は、彼らのために安き眠りの床に充てよと命令する。/与うるものは、受くるものよりは幸福だということは、永遠の真理である。/貪る者は貪られ、奪う者は奪われ、殺す者は遂に殺さるるを免れない」

文章はその後、岩崎家がいくら、三井家がいくらと、富豪や要人たちの寄付金額を示していく。

どうだろうか。工藤夫妻が省略によって読者の目から隠した部分を復活させ、引用部分の前後を含めて通読してみれば、「余は不逞の徒を恐れない」という言葉が、工藤夫妻が読ませたかったような「テロリストと闘う国民の気概」といったことを示すために出て来るのではなく、被災者の足元を見て暴利を貪る商人たちへの怒りを強調し、富豪を含めて「持つ者」が義務を果たすべきだと主張する上での引き合いに出されているのにすぎないことが分かる。そもそもこの章のタイトルは「富豪は宝庫を開け」である。

しかも大曲は「彼らにかかる陰謀があったかどうかは、実は余も知らない」とさえ言っている。ところが工藤夫妻はこの部分を略し、都合のいい文言を切り張りすることで、文意をねじまげて紹介し、当時の人々がテロリストの襲撃に毅然と立ち向かったのだという自らの空想のストーリーを大曲駒村に補強させているのだ。引用資料の悪用である。